御城展望台みじょうてんぼうだいのホームページへようこそ!

令和4年4月より入館料無料となりました。

【お知らせ】

御城展望台では、お問い合わせ多数の為「御城印」の販売を再開いたします。

販売場所の変更がありますので、お間違いのないようにご来館ください。

販売場所:パークアルカディア内森林科学館(月曜日休館(祝日の場合は翌日))

駐 車 場:県道沿い

御城展望台(山方やまがた城)は、当時佐竹氏の所領であった茨城県常陸大宮市山方地区にあります。

応永15年(1408)、関東管領かんとうかんれい 上杉憲定の子義憲が佐竹氏を継いだとき、後見として美濃山方(岐阜県山県市)から常陸に入った上杉一族の山方能登守盛利やまがたのとのかみもりとしが居城としたと伝えられています。 その後、佐竹氏15代義治の第5子 東政義の居城となりましたが、ほどなくして東氏は小里(旧久慈郡里美村地内)に移ったといわれています。

佐竹系の城館の特徴といえる、川をのぞむ舌状台地ぜつじょうだいち上に位置し、西側には高舘山たかだてやま、南側には皆沢川かいざわがわが流れる要害の地でした。 現在、やぐら(展望台)が復元されている台地東端が主郭しゅかく(本城の建てられていた区域)で、そこから西に向かって中の城、 外城が形成されていました。くるわの間には空濠からぼりの跡もあり、畑や宅地になった現在でも 遺構がよく残っています。

この御城、中ノ城、外城が日常の居館であり、西側にそびえる高舘山は本城部分が落ちた際の詰めの城でした。 山中には、連郭式れんかくしき(濠や土塁などで区切られた区画が直線上に連なる城の形式)の城跡が現在でも確認できます。 城内にはヤジノ(ヤダケ)の群生がみられます。ヤジノはイネ科の竹で、真っ直ぐで節間が長く矢の材料として用いられました。御城でも城内全域に ヤジノを植え、戦に備えていたのでしょう。

御城の南麓は現在「根古屋ねごや」という字名で呼ばれており、家臣の居住区だったことがうかがえます。 根古屋地内の皆沢川にかかる橋は「嘆願橋たんがんばし」と呼ばれ、城内に入ることを許されなかった庶民は、城の手前のこの橋で 嘆願をしたと伝えられています。

御城は、国道118号線バイパス建設工事に伴い昭和61年に発掘調査が行われ、古銭、中世の灰釉陶器かいゆうとうき 片や数点のカワラケ類および墨書石が1点出土しました。この墨書石には経文のような文字が記されており、中世の民間信仰の遺物と思われます。 御城に詰めていた武士が戦における神仏の守護を祈願して書いたものではないでしょうか。

嘆願橋から南郷街道なんごうかいどうを通って御城大手口に至る道は戦国山城の雰囲気を 色濃く残しています。上記の遺物や、山方氏の子孫の方から寄贈された山方氏関係史料は御城展望台内の展示室で見ることができます。